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2025.10.22
高級時計ブランドの中でも、**スイスの老舗「ジラール・ペルゴ(Girard-Perregaux)」**は、伝統と革新の融合で知られる名門ブランドです。
その創業は1791年。実はロレックスよりも1世紀以上前という、世界屈指の長い歴史を持つ時計メーカーです。
そんなジラール・ペルゴと日本をつなぐ人物が、明治維新の立役者・西郷隆盛だと聞くと、驚かれる方も多いでしょう。
今回は、ジラール・ペルゴと西郷隆盛にまつわる歴史的エピソードを紐解いていきます。
1791年にスイス・ラ・ショー=ド=フォンで創業したジラール・ペルゴは、19世紀から20世紀にかけて精度と美しさを両立した機械式時計を数多く生み出してきました。
中でも、1860年代に登場した「スリー・ゴールドブリッジ トゥールビヨン」は、ムーブメントそのものをデザインとして魅せる革新的な発想で、現在でもブランドを象徴するモデルとなっています。
明治維新の時代、日本が急速に西洋文化を取り入れ始めた中で、西郷隆盛も西洋の技術や文化に強い関心を持っていたことで知られています。
その象徴のひとつが、彼が愛用していたスイス製の懐中時計。
その懐中時計こそが、「ジラール・ペルゴ製」だったと伝えられています。
西郷が実際に所持していた懐中時計は、鹿児島市の「西郷隆盛記念館」に現存しており、裏蓋には「GIRARD-PERREGAUX」の刻印が確認されています。
これは、当時としては非常に高価で、ヨーロッパ上流階級向けに作られた最高級品でした。
明治維新の中心人物でありながら、質素倹約を好んだ西郷隆盛が、なぜスイス製の高級時計を手にしていたのか。
その理由には諸説ありますが、
一説では外交関係の贈答品として贈られた可能性が高いとされています。
という話しもありますが本当は創業者の一人で有る「フランソワ・ペルゴ」が西郷どんと同じ横浜の町内に住み、また同じ射撃倶楽部に属し面識があったとされる文献も存在します。
実際おたからやの本社のある横浜に「フランソワ・ペルゴ」のお墓も存在します。
当時、外国使節や技術顧問との交流が盛んだった時期に、「西洋文明の象徴」としての時計が重要視されていたこともあり、西郷のような要人がスイス製時計を持つことは「近代化の象徴」でもあったのです。
ジラール・ペルゴは、その後も日本との関係を大切にし、現在でも国内正規代理店を通じて多くの愛好家に支持されています。
西郷隆盛が手にした懐中時計からおよそ150年、ブランドは今も変わらず**“正確に時を刻む芸術品”**を作り続けています。
この歴史的なつながりを知ると、ただの高級時計ではなく、「時代の転換期を象徴する文化の証人」としての価値が見えてきます。
西郷隆盛が手にしたジラール・ペルゴの懐中時計。
それは、明治維新という激動の時代を駆け抜けた志士が、未来への“時”を信じて持ち歩いた証でもありました。
現代の私たちがその名を聞くとき、そこには単なるブランドを超えた、「歴史と精神のつながり」が息づいているのです。